なれそめ

1996年4月13日歌舞伎座

「井伊大老」

作・演出 北條 秀司 二幕   四場

あらすじ

「井伊大老」は直弼の人間的な面にポイントをおいた作品で、安政六年の初冬から翌、万延元年(1860年)三月三日に桜田門外で暗殺される前夜までが、直弼の温かさと、お静の女ごころを中心として描かれている。

宵節句の雛段を前に、時ならぬ春の雪を愛でながら直弼がお静の方を相手に「降る雪をながめ、彦根の酒を飲むとまるで埋木舎(うもれぎのや)に帰ったようじゃ…その庭の向こうに外濠の水が見えて、サヤラサヤラと芦の葉がゆれて、そのまた向こうにお浜御殿が…(略)ああ、帰りたい。明日にも帰ってみたいなぁ」といった台詞の渋さ、匂わしさが聞きどころ。

「おのれの信ずるところを貫き通して、石のように死ねばよいのじゃ」という台詞に尽きる大老の生きざまを、夫婦を通じてあるときは鋭くあるときは温かく詩情豊かに描き出してゆく。


もともとは長男ではなく、大老になったりはしないはずだった直弼ですが大老になり、彦根にいるときから連れ添っているお静がおりますが江戸には昌子の方という正室を迎えています。上屋敷には昌子の方を正室として。下屋敷にはお静の方を側室として置き、姫をもうけますがその姫は幼くして亡くなってしまいます。姫の霊を慰めるために宵節句に雛を飾り、死の前夜にお静の方とかたらう直弼ですが…


私が初めて吉右衛門さまの舞台を拝見したのは忘れもしない1996年4月13日の歌舞伎座 夜の部「井伊大老」の井伊直弼でした。それは歌舞伎座へ行った初めてでもありました。

鬼平やCMで名前と顔は一致していたましたし、歌舞伎役者であるということも知ってはおりましたが、歌舞伎観劇そのものは初めてのこと。「まあ、一生のうちに一度は観ておいてもいいかぁ」ほとんど社会見学&話のネタ気分で舞台の幕は上がりました。筋書きは買っておりましたが、ろくに読みもせず見始めのうちは「なーんだ、鬼平と同じじゃん(当時鬼平もじっくり観てませんでした)」大成駒のお静の方の配役でしたが私が観たときは休演されており雀右衛門さんがお静の方を演じておりました。

吉右衛門と雀右衛門が並んで出たとき「???親子???」と真面目に思ってしまいました。

それが、どのくらいからでしょう?初めての歌舞伎で一回しか観ていないので記憶が定かでないのですが、お静の方が恋する乙女のように可愛く可愛く見えて来て、直弼の「埋木舎(うもれぎのや)に帰ったようじゃ…」から「未来永劫わしの妻はおまえひとりじゃ」(原文にあらず)の台詞まで…

もう、うっとり…呆然…陶然…

死後の心配はせぬようにとの暗に匂わす直弼に対し、直弼が死んだら自分もあとを追う覚悟とお静の方…直弼とお静の方が寄り添って幕になったときにはすでに惚れておりました…

それは、何ていうんでしょう。自分のすべきことを全うする、おのれの人生を選択して覚悟し、悔いもなく悲壮感もない「生き方」とでもいいましょうか、なすべきことをなし何物をも恨まず、最後まで責任をとる男・・それでいてお静の方への愛情も忘れていない。いやー!いい男です。そりゃ惚れますわ。逢えなければ「尼になりたい」とも言いますわ(*^^*)

観劇後の食事のとき同行者に「あんな彼氏が欲しい…」とのたまって呆然とされたのも序の口、一目惚れなどというものを信じていなかった私なのに、人生とはわからないものです。遅めの歌舞伎座デビューから2年4ヶ月あまり。ひたすら吉さまモードを疾走中でございます。