内蔵助さんの本懐


 2006年 10月 国立大劇場


   歌舞伎を観るようになってから、忠臣蔵モノの本は結構読みました。 みな、それなりにドラマとして興味深く、内蔵助の人物像もそれぞれに魅力的です。 ちなみに私が一等スキなのはやはり池波先生の<おれの足音>の内蔵助です。  が、歌舞伎となりますと仮名手本にしろ元禄にしろ、由良さん、内蔵さんが立派すぎて 共感を覚えることが、女が寄り添って愛せる親和感を持つのがむつかしいです。 それでも、仮名手本の由良さんは、歌舞伎味濃厚で立派な中に色気もあり、優しさもあり、 何といっても芝居っけのある魅力的な中心人物としての魅力にあふれています。座頭です。
 それにと比べると、元禄の内蔵さんは、おそらく、史実のリアルな内蔵さんよりもかなり↑ な感じ<立派>なのではないでしょうか? つけいる隙のない立派さで<男子の険阻な道を選びたい>というその一念は尊敬すべきもの であっても、現代の女子としてついていけません。根性なしですみません。 ことに<第二の使者><最後の大評定>のみの内蔵さんは近寄りがたいです。 鐘木町で遊んでいる場面まで見せてくれればそれなりに、一念の中に人生の日々の一瞬を楽しむ男と いう一面も見えてきそうなものですが。たとえ、それが敵も味方をも欺き、試すようなウソの遊蕩 だとしても。  ぶっちゃけて言うと、いっくら初一念に凝り固まった人間でも、遊んでいるときはそれなりに 楽しんだと私は思いますね。また、それだけのゆとりというものが無ければ大望を成し遂げられ はしないでしょう。きっと。
 尊敬できない男子を愛することはできませんが、尊敬できる男子だから愛せるとは限りませんしねぇ。  平時に昼行灯とあだ名されていたということについては、舞台面の立派なぶれない内蔵さんを 観ていますと<無能>ということではなく、つかみどころのない、凡夫に考えの読めない人物で あったのだろういうことで納得します。  自分の理解できないものに対して、反感と不安を覚え揶揄するのは人の習いですし。 また、偉大な人物に対してそれを認めながらもその大きさにたいして揶揄してしまう心持ちも わからないではありませんし。 それと、ほんとに偉い人ってのは偉く見えませんからねぇ。偉そうにしてませんもん。 ので、頭では<男子の険阻な道>を理解できても、心で納得できないし、理解負可能なものに不安を 覚えてしまいます。だって、女の子なんだもん。(←読み流してください)
 穏やかでありながら、きっぱりと立派で人々の心の機微もわかり、かといって妥協はしない、 人間として立派で大きく、無理強いをすることのない柔軟さを備えた、それはそれは人物ではあるのですが、 愛しきれませんでした。  アタシの頭脳では理解しきれないし、盲目的に信頼してついていくには、私は女です。 ついていくことのできない、それを許さない内蔵助さんでした。
 それと、新歌舞伎の舞台面は薄暗くっていけない。もう理屈抜きでなじめません。 内蔵助さんかあ、今となっては記憶も霞んでいるのですが、あなたが… <天下のご政道に反抗するつもりだっ!>と本心を打ち明けても私には日々の幸せが大事です。 ちーっちゃい人間でごめんなさい。でも、女はそれでいいの。(決めつけ)  いつか、いつの日にか仮名手本忠臣蔵の四段目の由良吉さまを観るのが私の望みでございます。
 2006年12月末 記 寝ても醒めても 表紙へ