二代目颯爽と登場
 木の芽会。
『逆櫓』の樋口が見得をきるとき、萬之助から吉右衛門への扉をぐーッと開くような気がした。
 立派だった。
 自ら「縁の下のモヤシ」と称するように、身体こそ細くて長いけれど、東宝の水に住みながら、水
面に浮いて軽く流されない頼もしい歌舞伎役者だ。

 幸四郎一家の東京の住まいは---。
 黒とベージュで統一した落ちついたムードの部屋に、彼は、若きヴェルテルのような表情で、アー
ムチェアに深く身を沈めていた。
 もてあますほどに長い脚の足首に、白い木綿のソックスがダブダブにたるんでいるところが、妙に
可愛く眼にうつる。
 ヌーッと立上がって、
「どうぞ・・・・・」と、はにかみフェースで、ボソッとひとこと、椅子を指差す。
 息子さんの愛想のないところをお母様がにこやかにおぎなう。有名な良妻賢母、といえば固苦しい
が、幸四郎夫人は少女のようなさわやかさが溢れる魅力的なママ。
「楽屋の鏡台前に、白土三平のカムイ伝ですか、うず高く積んでありましたけど、漫画お好き?」
「大好きです。自分がカムイになった夢みちゃったりして・・・・・。手塚治虫のもきれいでいいで
すね。小島功の画く女の人も好きです。面白いのは加藤芳郎」
 と、のっけから漫画の話です。
「ある種の放射能で米つぶくらいになった人間が人体に入って脳外科手術をして、やがて涙とともに
出てくる」
 空想科学の話など熱っぽく語るのでウレシクなってきた。
 胸もとに、細い金の鎖がキラッと光る。
「その鎖の先にはペンダントが下っているんですか?」
「いえ、これは、大変なものなんですよ」
 大事そうにひき出して拝ませてくれたのは、小さい子が下げているような木製の古びたお守り札だった。
「萬之助さんは“純情で頑固”っていう感じがしますけど・・・・・」
 お母様にうかがうと、
「そうですね。純情の方は知りませんけど・・・・・すごく我慢強い子です。人の気持ちを汲み過ぎ
ちゃうんですね。ひとがこう思わないかと思うと、自分の意見、云えなくなっちゃうというような・・・・・」
萬之助「それは、母親の慾目ですよ」
お母様「慾目?あなた、うちでもそうよ」
私  「世話の焼けないお子様のようですね」
お母様「そうですね、わりと・・・・・」
萬之助「役者になるのイヤだと云って、父にすごく叱られたことがあります」
私  「染五郎さんは中学のころ、役者の血に抵抗感じたっておっしゃってましたけど・・・・・」
萬之助「そう、兄貴、よくやってましたネ。役者やめたら勘当だから役者になったけれど、本当に苦
    しむのはこれからでしょうネ」
 吉右衛門の名跡を襲うことを重圧に感じている様子はないし、気負った風もない。
 決意はおなかの底に坐っているのだろう。
 「キチエモン・ジュニアって名前にしようかな・・・・・僕は、僕の吉右衛門を創っていくつもりです」
 何か悠々としている。
 ひと言ひと言、じっくり考えてから、ミネラルウォーターを飲み、ゆっくりした口調でしゃべる。
大空の雲にでも話しかけているように。
「ボクどこで生まれたの?」
「ボクのガールフレンド何人いる?」
「ボクの嫌いな食べ物なんだっけ、匂いのする、黄色い、丸い、あれ」
 と、何でもお母様に訊ねるあたり、見ていてほんわか楽しい。
 季節、音楽、色・・・・・。
 ゼッタイこれが好き、と云わない。云えない。その日その時、心の琴線に触れたモノをしみじみと
愛する。ツーといえばピーンとくる感受性の強さが却ってこの人を寡黙にしてしまうのだろう。
 模糊として掴みどころがないが、常に思索し、空想に耿っているようだ。
「小っちゃいときはあなた、シャレばっかり言ってたわね」とお母様。「そら、兄貴はダブル、僕は
オフルなんてね、お古ばかり着せられてたから・・・・・」
「おしゃれですか?」
「兄貴のほうがおしゃれですよ。毎朝、髪なんかこう(鏡に向ってくしけずるしぐさ)やってる。ファン
に会ったときイメージこわしちゃいけない、兄貴はそう思っていつもキチンとしてるんですよ。見習わ
なきゃ」
「街へ出ると、人に見られるのでしょう」
「好きじゃないな、と云っちゃァいけないんですね。職業ですからね。モッズ・ルックなんて暑いだ
ろうな。パンツ一枚が一番いい」
「眠りたいなァと思いません?」
「思いますねえ。これじゃ『浮かれ坊主』なんて踊れやしない」
「胃はよくなったのですか?」
「えゝ、このごろ調子いいです」
お母様「この人は胃下垂でしてね、胃が骨盤の下に入っちゃっているんですって・・・・・」
   「下だったら外に出ちゃうよ。中だよ」
お母様「胃カメラの管、限界以上入っちゃって、看護婦さんがビックリ仰天!」
   「おなかでピカピカ光ってたね」
 何事もヒトごとのようにしゃべる話し方のマが面白い。
 そして、ユーモアのセンスはピカピカひらめく。
 「ユズだ、嫌いな食べ物は柚子でした」
 質問してから一時間後に、突如、答がとび出したので、呆気にとられてしまう。
「お祖父さんに可愛がられた記憶ないナ。こわいおじいさんでした。一代であそこまでいくのは大変
なことですからね、厳しかったんですよ」
「結婚は考えることあります?」
「ケッコン?ぼく、うわァ・・・・・」
と絶句。天井を穴があくほどみつめている。
 お母様は笑い出して、
「どうしてそんなに悲しそうな顔するの?」
「だって、恋愛出来ないでしょ。週刊誌に書かれるから・・・・・見合結婚だ」
 なんとデリケートで傷つきやすい性分だろう。もっと心のツラの皮を厚くして、ふてぶてしくなっ
たら肥れるものを・・・・・。

 去年、先代幸四郎追善興行のおり、團十郎、幸四郎、松緑三兄弟に会って、私はひそかに思ったこ
とだった。(三人それぞれ性格は違うけれど共通点が一つある。三人とも絶対ひとを騙せない方だと。)
 萬之助さんも自分に正直に生きていく人だと思う。
「お母様のような女性と結婚したい?」
「ア、いいですねえ。役者の一人娘で、芸事百般に通じ、しかも、何も知らず、ただ一人の男性を
愛して・・・・・」
「お父様は芸に関してはうるさいほう?」
「ある程度云います。日常のことは『はたち過ぎればわかるはずだ』って云う。いい教育ですよ。
おやじ、うまいですよ。」
 話し合っている間、玄関のチャイムが何回も鳴る。襲名を控えて身辺まことに多忙のようだ。
「現代劇ばかりやってると、歌舞伎役者としての味がうすくなりませんか?」
「基本があれば大丈夫だと思います。これからも歌舞伎だけでなくいろいろやります。大衆に媚びる
ショウ的なものはやりたくないけど。・・・・・何しろやらなきゃダメですよね。口で言ってるばか
りじゃ」

「吉右衛門」の名は、この優のプリズムを通して、新しく輝くことだろう。

☆昭和41年 演劇界 九月号臨時増刊 『中村吉右衛門』より。

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