俳優一人一話
二度の挨拶
無切符で虎口脱出

 とてもそうは見えないらしいのですが、僕は小さい時からそそっかしくて、楽屋でも、お早うござ
いますと云う時に、お疲れさまと云ったり、同じ人の所に二度挨拶へ行っちゃったり・・・・・・
始終です。
 この間も新幹線に乗って、改札を出る段になって、切符を車内の椅子のポケットに入れたままで降
りたのに気がついてねえ。団体客にまぎれて虎口を脱したのですよ。
 人の名前を覚えない、道を覚えない。おまけに気が短い。そう見えないでしょう?車の運転では、
いい映画を見たあと、自分が主人公になった気になって、随分ぶつけたこともありますよ、落し物も
しょっちゅうですよ、おやじは几帳面で絶対落さない。僕はよく叱られますよ、若ぼけだって・・・・・・

☆昭和53年演劇界10月号臨時増刊「歌舞伎の魅力」より。


兄 弟を語り 弟 兄を語る

弟 吉右衛門の語る兄・染五郎 気が小さくて天才肌

 役者としてはピッタンコ。舞台であがったのを見たことがない。自分の感情に
陶酔できるのですから、二枚目風な資質を持っていたら素晴らしいでしょうねえ。
立役は割と冷静でも何とか行けますが、つっころばしの体質だったらねえ。それ
以上に女形だったらどうだろう。
 
小さい時喧嘩はしょっちゅうしていました。兄貴は口がうまく、僕は口では負け
ますが、気が強かったし、どうしても口より先に手が出ちゃいました。兄貴は物おじしないのに気
が小さくて、僕がかばったのです。外でよその子に兄貴がいじめられて帰って来ると、僕がほうき
を持って、゛兄貴のかたきィ″と追っかけるわけ。気が小さいせいか、アイデアがすごくひらめく
のに、実行しない。僕は考えるより先にやって、あとで考える。慎重なのは兄貴のほうが慎重です。
 
 中学生時代、兄貴は早くもテレビや映画へ出て、世間を知り、悟ることもあったでしょう。僕は
兄貴という防波堤があったので、普通の子並みに反抗期もありました。兄貴は四つから芝居へ出て
いましたし、あくまでも役者として育ちましたが、僕は普通に育てられました。
 凝り性でね。熱し易くさめ易い型。凝ったのは、三味線。ギターにしても手にしたのは僕の方が
早く、中学生のころからいじっていました。兄貴は映画に出た時必要に迫られてやったところが、
これが感じになっちゃうんですねえ。コードなんかデタラメなのに、結構弾けて、天才肌なのでし
ょうねえ。作曲なんかしちゃって……。何でもすっと物事に入って行ける。現代劇でもミュージカ
ルでも入って行ける。素直な人なんじゃないですか。努力しても二くらいしか進まない人と、八く
らい進む人とあるでしょう。そこが天才と凡人の違いでしょうね。


兄 染五郎の語る弟・吉右衛門 堅実派の努力家です

 子供の時、僕がおなかが痛くなると、隣の部屋で弟もおなかが痛いと云っている。ふしぎだなあ、
と思いました。でも小さいころからわりに行動も別でしたし考え方や行動は違っていたように思い
ます。うんと小さいころは弟の方が無口で、僕はよくしゃべったらしいのですが、中学生くらいか
らかなあ、弟の方が駄洒落を云うようになりました。年令は二つ違いです。とっくみ合いの喧嘩も
何度かしました。原因というより、いつも兄貴と弟、というシュチュエーションだったような気が
しますねえ。
 
 「木の芽会」を作った当初は、お互いしゃにむにというか、僕たち兄弟ばかりでなく、全員一丸
となって歌舞伎の勉強をしていました。歌舞伎の勉強になった反面「木の芽会」結成以後、素朴な
兄弟のまじわりというものからは、遠ざかったように思います。
 
 お互いにあまり干渉せずで、うわべのつき合いはありません。でも、心の底ではいろいろ弟なり
に考えてくれているんだなあ。『ラ・マンチャの男』をニューヨークでやった時、弟は忙しかった
のに、兄貴のをどうしても見ると、ほとんど日帰りで見に来てくれて、感激してくれましたよ……。
 
 弟は神経質で無愛想で、嘘のつけないごまかせない性質です。役づくりに関しては、土台を固め
てから、というごく堅実型です。弟は自分で本をひもといて、一字一句役を把握して行きますね。
 兄の口からいい難いのですが、今の若手の中では、弟は実力は一番でしょう。それは弟の、いい
かげんには出来ない性質と、目に見えない努力の成果で、その点見習わないといけないと思いま
す。兄貴だからこんな事云うのはテレ臭いけどねえ。本当はそう思っています。

☆昭和52年演劇界10月号臨時増刊「歌舞伎の花形」より。

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