英雄の痕


 2005年11月 1日  歌舞伎座 夜の部
 こんぴらバージョンの<より>もおぼろげな今日。「さら」な気持ちで景清さんとの逢瀬に 立ち向かおうと初日の歌舞伎座へいてまいりました。
 頭を冷やすために、数日置いてみました。あまりに否定的な感想文になるかもしれないので次に観たあと に書こうかとも悩みました。ですが、初日の正直な感想を書きとめておくことも大事じゃないかしらんと。 書いてみます。  まず、観始めから、あ、こんな感じだったっけ?うんうん。お、こんぴら版より台詞が増えてんな。うん。 あ、ひょっとして義太夫も増えてる???わかりやすいかも。 あー、そっか、糸滝ちゃんにむやみにキレテ当たりまくってたみたいだったけど、とても説明的に、 怒りながらも、娘を大切に思っているってことは伝わるな。ふんふん。 …んー、説明的すぎないか?いっくら、<より>って言っても、これはこういう風にしちゃっていいわけか? …えー、糸滝ちゃん、<数え年三つで聞いた父の声を覚えているわけか!?ええ?> ここにきて、比喩でなく、実際に口あーんぐり、ぽけらーっと口開けたマヌケ面で舞台を観る。 !?つまらねーーーっ! 脳内否定してもせりあがってくるこの気持ち。…残り手持ちチケット売り払おうか。。としばし呆然。。
 で、実は景清さんは、娘を愛しく思っている、なんで、お百姓さんの嫁になんてしたんだー! ふぉーっ!と怒って、帰れ帰れと追い返しても、ちゃんと 「今叱ったのはみなつくりごと、幸せになれよー!」と手を振る。  で、素直に置いてかれた金も受け取る。が、書置きを読んでもらったとたんに その子は売るまじーーーっ!で絶叫で、ヘッドバンキングでニジンスキーも顔負けの大苦悩。 ヘビメタを歌うのかあ!と。それならそっちの方がパンキーかと。わけのわからんことを思ってしまう。。  あんた、小屋外で糸滝ちゃんとさじだゆーが話してんの聞いてなかったのかよ? つーか、あの会話も筋知らせであって、糸さじが2人で話してんのは実際には小屋から聞こえない ほど距離が離れてるってことなんだろうけど。けどでも。。
 きんぐおぶ苦悩な吉さまを愛してる。この世の何物よりも愛してる。 が、ここで、アタシ、どん引き! やっぱり、どうしても納得できないなあ。
 義太夫でも台詞でも「説明」をしてるから、重盛さんへの気持ちや、現在の境遇への憤懣や、 ほぼ初対面といえるほどの娘への愛情ってのも動作とは裏腹の心情を「説明」してくれるからわかる。 わかるんだけど、意味もわからず、字を読んでるだけのようなわかり方で、説明されればされるほど 安手のホームドラマかよっ!と、どん引き。。
 で、頑なさや憎悪や我執、執着を捨てて、あくまでも<信念>を捨てたのではなく、 生まれ変わって幸せになるというのが主題であるならば、源氏方に行っても再生にはならないと思うんだよ。 だって、平家が滅びたように、源氏も滅ぶんだよ。変転滅亡しないものは無いんだよ。 生まれ変わると言うよりも、なんだか、思想犯への強制的転向工作みたいで、気持ち悪いなあ。 あと、娘も娘なんだよ。どこまでも、その父娘との「絆」と「愛」って幼いゆえの思い込み、綺麗ごと を貫くんなら、書き置き残していくのは理解できない。さじだゆーだって、付き添ってきて、 うそんこの幸せ縁談話をしてるわけだからさ。やっぱ、糸滝ちゃんにはは屈折復讐をしたいという潜在的 願望があるのか、もしくは、自分も知らないとこで源氏方にあやつられてんじゃないの?とか へ理屈疑問があとからあとからわきあがってきちゃうのよ。
  で、最後に愛する娘を遊女になぞさせられないと、こざっぱり身綺麗になってお船に乗る。 乗って、「頑なさ、我執、執着の過去の象徴」のようなお位牌を海へ捨てて去っていくの。 でも、捨てた「過去」もこれからの「未来」も同じ穴のむじな。じゃないのかなあ。  それよりも、里人だと思ってた2人の若者が源氏方の工作員(?)だってのがわかっても 無反応なんだよね。意地張ってないで、頼朝様のとこへくりゃいいじゃんって言われて うんともすんともなく、ふらふら〜っとお船に乗っちゃうんだよね。 この人は、何考えてんのかな?  糸滝ちゃんを救えたことだけが未来への希望で、鎌倉へ行ったら、娘の身柄保証だけは してもらって、自害でもしてくれないと、景清にとってのハッピーエンドにはならないと 思うんだけど。 でもだよ、確率は低くても売られて遊女になった方が幸せになれた可能性もあるわけだよ。 景清の娘として、また源氏方にいいように利用されないとも限らないじゃない? 特に糸滝ちゃんが芝雀さんだったから、娘の可愛らしさもあるけど、肉感的色気もあって 実際、遊女になったら上玉になってひょっとしたら、適職(?)になったかもしんない感じもあるし。 ああ、女の苦界に売られていくんだなあってのはよくわかったけど、幼い少女が売られていくって いうか細い憐れさはあんまり無かったなあ。
 それと、「人間の本当の幸せって何よ?」「我執と、信念を貫く」の間にあるものはなんなのよ? 現実社会において、そりゃ、戦争が無くなることは大賛成。子供が親と暮らすのも、大賛成だけれども、 「貫き通す男の信念」はどこにいっちゃったわけなのよ? 実際の現実では、それができない、できないからその愚かでもあるけれども、貫き通す崇高さってのを 私は見たい。 と、とても私の頭では考えたところで、自分を騙すための方便すら見つからなくて、 やっぱり、こんな男は嫌だ。こんな娘もわかんない。ここに出てくるすべての人物の気持ちがわかんない。 なんかとっても上っ面な感じがする。と、パニックでした。
 愛の三部作、 <藤戸> の、息子を失った母親の愛や悲しみや恨みはよくわかる。 <巴御前> の、幼馴染で、恋人で、戦う同志で、その愛する人を失った悲しみも。 がっ、 <より>の景清の  離れていても「父」と「娘」の間に、ここまでできる「愛」と「絆」 があるってのは、私にはわかんないよ。 これは、観客である、私の心の問題なのか? でも、そんなちっぽけな心の問題なぞ、はねとばすほどの感動を与えてくれるのが、 受け手の心の堤防を決壊してくれんのが芝居ってもんじゃなかろうかと。 あと三回観ますけれども。なんとか景清さんを愛することができるようになりたいが。。 もっと素直な心で、あんまり集中しないで、ほけら〜っと観た方がいいのかもしんないが。。  いつにも増して、書き言葉がぞんざいだわ〜。↑どうもすみません。。
 2005年11月 5日 記 寝ても醒めても 表紙へ