頬づえつく青年の憂鬱


 2005年 6月2日 3日 歌舞伎座 夜の部

 新聞のインタビューで「ニヒルな冷たさが序幕から出ればと思います」と語っておられますが ニヒルにもアヒルにも見えませんでした。 とりとめのない頼りなげな、ふわふわとした人物に見えます。ああ、育ちがいいんだなあと。 まるで自分の意思をもたず、良く言えば、無色透明で、流されまくる青年像。 おっとりと品よく、浮世ばなれしていて、いい子なんですが、挫折を知りませんから 今、浪人してるという姿が人生最初の挫折でなかろうかと。 そこに鬱屈もあれば悲しみも怒りも仇討ちに加わりたいという目標もあることはあるのだけれど 実感がともなわない。外見、立派な青年武士で(浪人中だけど)大人にはなりきれていなくて、 好青年の表面の下に、子供の残酷さと癇癪をもち、そのままその激情を実行に移すことのできる若さ。 彼には「現実感」というものが欠如してるんじゃないでしょうか?
 現実世界のバイタリティーを充満させて、これでもかこれでもかと、源五兵衛くんを攻略する人々。 市井の人々。目的や手段はどうあれ、凄まじいパワーで源五くんを落としますわな。 叔父の意見も下男の嘆願も頭でわかっていて、いい子としての自分は、「確かにそうしなければならない」 と思っているのだけれども、もちろん優しさも正義感もあるのだけども、よってたかって誘惑されると、 そこから逃げもできず、かといって、自分で決意したという自覚も実感もなく、百両を渡してしまう。 渡してしまえば、惜しげもなく、小万を連れ帰ることだけを考える。 そこで、実は騙されていたことを知ると壊れちゃう。 とりとめもない若さには、「裏切り」という語彙がない。年ふりて振り返れば、ただの自惚れと物知らず だったなあとわかっても、若さの只中では、まさかもへったくれも、「裏切り」って概念がないのね。 自分だけは騙されないとかいうんじゃなく。
 このへんは、いくら学問したり読書したりしていても経験しないとわからない。 怒りの前にまず驚きがきて、驚きから悲しみ、怒り、復讐と前半の透明人間のような血の薄さげな感じから 一転、殺しまくり。怒らせると怖いのはこのタイプなのかも。  経験して乗り越えて学んで、強くもずうずうしくもなっていくはずだけど、彼の心には、ずーっと虚無が 棲んでいたのかもしれません。一番の本望が仇討ちに一座して亡君の恨みを晴らすってんですけど、 それは建前として、どうですかね?そんなの本心から打ち込めますかね?私だったらやだな。 刃傷がなければ、太平の世の武士として可も無く不可もなく、平坦な人生をおそらく送っていっただろう青年が 浪人せざるをえなくなり、それならそれなりに武士を捨てるもよし、他家に仕官するもよしの選択もなく、 願いが叶ったとしても、その先にあるのは死。曲がりますよねぇ。まともな精神の人でも。 というより、まともならまともであるだけ、曲がりそう。
 ある意味で開放である凄惨な殺し。従犯者も皆殺し、主犯を取り逃がしたとなったら、毒酒を差し入れて 寝込みを襲おうという周到さ。周到に見えながら、実は、あんな事件の後に、どんなふうにして訪ねたとこ ろで信用されるはずがないということは頭から消えている。別にヤケなわけでもなく、壊れた人ってそういう ものかもしれません。この辺から、怖い怖い源五さんになります。  凄惨ながら歌舞伎の魔法で、美しい殺し場。女ひとりを嬲り殺し。斬りつけ、膝をなで斬りし、 足が立たなくした上で、三五大切を彫った腕をつく。血の匂い、甘く、鉄錆びた匂いが闇に溶けるような殺し場。 罪のない赤子まで、殺める。しかも、その母の手に刀を握らせて。 鬼と呼ばれ、鬼にしたのはおまえらだと答える声。  鬼になったのがいつなのか、人は元来が鬼を抱えているものなのか。 たぶん、心に揺れもなく、小万の首を懐に去っていく。 死して穏やかな顔。愛しく、憎い、可愛い女の顔。髪を一、二度、撫でる優しい仕草と表情は 安堵なのか愛情なのか狂気なのか、そのすべてなのかな。ここの表情、好きです。ぽっ。
 この後、すべての誤解が解け、結局、源五兵衛の騙しとられた百両は薩摩源五兵衛実は不破数右衛門の手に戻り 殺し損ねていた三五郎は、自分が騙していた源五兵衛こそ、親父の旧主数右衛門だと知り自害。かんぺーさんの 腹切りのパロディなんですかね?  結句、めでたく、源五兵衛は、大星さんにお金をおさめて、義士に一座し仇討ちに加わることがかないます。 …めでたく?めでたしめでたし。って、おーい! …なんか、とってつけたような。しかし、めでたくとは言っても、仇討ちも最終的には死への旅 主題はあれですかね?どうにもならないものはどうにもならない。っていうか、人生あがいても無駄っていうか 町人も侍もどーもがいても抗えないもの(運命(?))には逆らえないってことなんですかね。 なーんにも主題はなくて、どうせこの世は混沌さ!ってことなのか。アナーキーですなあ。グロテスクでも あるし。(意味よくわからん)  わかっていることは… 源五くんが気になってしょうがない!  気になるっていうか、目が離せない、危なかっしくて、美しすぎる。濡れ場は無いけど、殺し場が色っぽい。 そうだった!色悪のはずなのに濡れ場がないのだった。がびーん!初めて観る芝居だから、粗筋は読んだけど 源五兵衛さんと小万さんの濡れ場があるのかと思っていた。 前半の小万さんは、造り惚れでちょっとだけ、源五くんといちゃいちゃするだけで、終始一貫、三五さんと らぶらぶ。文字通り三五大切な可愛い女だった。女形さんを性別意識せず、普通に女として見ることって あまりないのだけど、三五さんと一緒の小万さんは、本当に女だった。そんな女を嬲り殺し。 源五くんてば。でも、素敵。
 それと、考えてみれば役がらが若い、きっと20代っていうのは多く観ていますが、演技力や諸々の技の力 を超えた(含んでるけど)ナマな若さを感じたのはひょっとしたら初めてかも。 今の吉さまに重なって、映画や写真集でしか見たことのないきりぎりすな頃の吉さまがふっとほの見えたりして 感無量でした。実際にはお休みのせいか、鬘や拵えのせいか、若干ふっくらとして見えたのに、 芝居がすすむにつれ、きりぎりすを髣髴とさせるとは、やっぱり、旦さんはすんごい。 母性本能というか姉性本能が刺激されました。が、本来、私は、自分が若い頃から青年は 苦手です。歌舞伎の役で男として理想なのはこーのむさしのかみもろの〜さんですから。はい。 でも、源五くんは好きです。ぽっ。
 芝居に直接関係ないのに強く印象に残っているのは、始めのころ、小万さんや男衆、芸者衆他を連れて 道具類もとっぱらわれちゃった源五くんちにやってきますよね?で、はちえもんくんが入れてなるかと 犬だとか、女狐だとかがたがたやってますわね。すると、源五くんは、上手の縁側(?)で 何するでもなく頬に手をあてて、ぽえ〜っと庭とも言えない狭い空間を見るでなく見ないでなく 佇んでますわね。 何を考えているのかしら?どこを見ているのかしら?瞳に何か映ってるのかしら? 楽しい夢想にふけっているのかしら?それとも今までのこしかたを悔やんで鬱々としているのかしら? たぶん、なーんにも考えず、花を見ているのかもしれません。青春はからっぽですね。ええ。 青年の憂鬱。そこにきりぎりすな頃の吉さまが見えたような気がしました。 私にとっては、印象深かったです。
 そんなわけで、美しく残酷なことはするのだけれども、ちっとも「色悪」ではなかった源五くん。 そんな源五くんが大好きよ。あと何度か逢瀬にまいります。 そして、これだけは感想文の中にはっきり書くか書くまいか迷いましたが書いときます。 初日の源五くんにはプロンプべた付きでした。私、心の底から驚きました。あの播磨屋が。。と。 きっかけだけとかじゃなく、文字どおりべた付き。だったような気がする。ショック大だったので 記憶が大げさになってるかもしれない。 舞台は一期一会とおっしゃっていて、もちろんわかっていても、人間完全ではないので 今となっては、そんなところも青年っぽくて良いかなあと。ええまるっと吉バカです。 ええ完全に吉キチです。私。 どうもすみません。だって、次から盛りかえしたからいいんだもーん。
 エトセトラ:  小万の首を前に、飯を喰うというので興味あったが喰わなかった。あれが従来演出と違うのかどうかわかん ないけど、あそこは喰わなくても私はいいと思った。 首が口開けんのは、客おどかし以外にはなんもないよなって感じ。 しかし、南北しゃんがエロ・グロ・ナンセンス なら、ま、いいかと。嫌いじゃないけど、 ちょいとくどい。 とにかく、私としては 源五くんだけ観ていられればいいかと。 あと、三五さんは、南北に溶け込みすぎて、はまっていたので意外性がないので自然に観てしまった。 源五くんと絡まないとこだけだけど。しかし、いい男で不潔でなくエロいっていうのはすごい。 でも、 ナマアシは断然、旦さんが色っぽい。世界一の白塗りナマアシ。 セクシーです。  それと、はちえもんくんが、すんごい健気だったわ。(それだけかよっ!…うん。)
 2005年 6月 7日 夜 記 寝ても醒めても 表紙へ