とーたん。。
 

 2005年 4月15日 金丸座 午後の部
 悪七兵衛景清さんは、平家方の力ある武将でした。源氏との戦いに敗れ、平家は滅亡。 忠臣していた重盛さんも戦死。景清は生き残りましたが、自害も果たせず、もうこの世で見るべき ものもないと自分で自分の目をつぶして、盲目に。 今は宮崎の日向島にひっそりとボロボロと暮らしてます。    そこへ、二歳の時に離別した娘の糸滝が訪ねてきます。平家滅亡後、凋落の父に僧の官位を 買って楽をさせてあげるために自分の身を売ったお金をもって。  身売りした遊女屋さんは親切(?)で事情を知った上、身売りする前に自分で父に会い、 お金を渡しに行くことを許します。女衒の佐治太夫さんを供につけて。女衒ですが人はいいです。  島で糸滝ちゃんと佐治太夫さんが景清を探して、声をかけたのは当人の景清。しかし、彼は、 「景清は飢え死にした」と嘘をつきます。
 落胆する糸滝ちゃん。佐治太夫は、せめて、ととさんの足跡でも辿ろうかと励まします。 通りがかりの里人に「景清さんは、どのへんにおいででしたか?亡くなったそうですが」と問うと、 里人さんは「何を言ってんだー、景清さんならあの洞窟を庵にして暮らしてますがな。よし引き合 わせてあげましょ」    で、なんやかやで対面を果たし、身売りの金とは告げずに、相模の国の大百姓に嫁いで何不自由なく 暮らしてんだけど、父上が気がかりで、お金を持ってはるばる訪ねてきたんですよと佐治太夫が説明。    突如、怒り出す景清。ぬぅわにぃいい!このもののふの景清の娘を百姓になんぞなぜ嫁がせた!? 帰れ帰れ!とお金を放りだします。  佐治太夫は、父のことを思い切らせるための芝居だと推察して、里人にお金を預け、あとで 渡してちょとことづけて、糸滝ちゃんとともに船で去っていきます。
   里人さんからお金を受け取ろうとすると、そこには文箱に入れた書置きが添えられています。 実はこのお金は自分が身を売ったお金です。これで、安んじて暮らしてくださいね。と 書かれてあり、 おーまいがっ!おーまいがっ!これも自侭に生きてきて人々の命を奪い、 もののふの道を生きてきた報いかああ!畜生道に堕ちよとかーーーっ!おお、ああ、うう、 娘の死肉を喰らうようにこの金で安穏になぞ暮らせるかあ!   苦悩だ苦悩だ苦悩だあああっ!と身も世もなく嘆き、怒り、悲しみます。    すると待ってましたとばかりに、里人さん2人が  景清殿、実は俺たちは、源氏の家中であなたを見張り、なおかつ、あなたが源氏方にくみして  くださるようにその機会を伺っていたのです。  今までの諸々は忘れて頼朝さまに仕えれば、糸滝ちゃんも穢れない身のままで救うことが  できるじゃありませんか?と勧誘。    茫然自失、瘧が落ちたように景清はそれを承諾し、里人=実は源氏の使者とともに  お船に乗って鎌倉めざして(糸滝ちゃんたちを追って)去っていくのでした。  ↑ダイジェストあらすじです。
 苦悩しまくってます。血を吐くような台詞の数々です。迫力な播磨屋、さすがきんぐおぶ苦悩。  しかし、泣けませんでした。
 ファザコンには二とおりあって、一は、父親と良い関係が築けていて父親が好きで好きでのタイプ。  二は、父親と良い関係を築けずに、父への愛も父親からの自分への愛もよくわからぬまま、父が嫌いで、  反動で、理想の父親像を求めてしまうタイプと。    父親が理想な人と、理想の父親像を求める人と。感じ?    私は、ネガティブファザコンの方でして、愛の三部作、テーマは父と娘の愛ってのを  知ったときから内心複雑でした。はい。  ですが、お芝居なんですから。そんな面倒くさく考えなくとも、感動できれば感動しまくればいいじゃん  と思っていたのです。が、まず、娘の父への愛ってのが実感できません。  しかもあれですよ、二歳で別れてんですよ、しかも捨てられたっぽいんですよ、  ま、一緒に暮らした歳月がほとんど無い分、憎悪もわきにくいでしょうが、  逆になぜ、そこまで愛せるのかわかりません。
 そして、父の娘への愛ってものぴんときません。。  もののふの道を貫くために(っていうか、家庭をもつには不向きな人だったんでしょう)  母子ともども捨てたんですよ。んで、大変は大変だったでしょうが、好き勝手に生きて  きたんですよ。このほとんど接点のなかった娘にそんなに突然、大量の愛をもてますかね?  自分の最後の砦である自尊心を捨ててまで。
 で、私なりにひねくれて考えるに  糸滝ちゃんは、父親に復讐したかったんじゃないですかね。もちろん、慕っているのも  本当なんだけど、物心つかない幼い自分を捨てていった父に。  でなきゃ、せっかく、佐治太夫がついた嘘をくつがえして「書置き」を添えておく必要は  ないのでは?  わが身を犠牲にして、一生消えない負い目を与えたまま、表面上は父を救うことになる。  自分でも気付かずに潜在意識の裡にだけとしても。
 で、景清さんは、景清さんで、もう、すべてが虚しくなっちゃったんじゃないですか?  糸滝がくる前も虚無だったんだけど、それ以上に。因果はまわるよ風車。  捨てたはずの娘がわが身を売って自分を救おうとする。それはなんだ?それを愛と呼ぶのか?  それをもし諾として、自分が安穏と生きていけるのか?  景清であり続けることに意味があるのか?エトセトラ。    ただ単に娘への情愛とは受け取れません。すみません。。  どうなんですか?景清さん。  父と娘の愛というのに、憧れとともに嫉妬もあるからこんな見方になっちゃったんですかね?  自分でもよくわかりませんが。
 で、源氏の使者二人と今までの因縁、我執、は捨てて再生した自分として生きていく。って  え?生きていけるんですか?  日向「ひにむかう」と読ませて、明日への希望をもたせハッピーエンドに。  って筋書きいんたぶーに書いてありましたが私にはそうは感じられなかったです。  鎌倉へ行き、糸滝を手元に引き取り、幸せに暮らせるんですか?  戦いの虚しさを心底思い知った今、源氏方に行っても役に立つんですか?  そりゃ、人間は脆くもしぶといものですけども、あれだけの絶望感をふりまいた  後で、そういうハッピーエンドを想像することは私にはできませんでした。  ひとまずは、娘を買い戻し、自由にしてどこかへ逃がし、自分は自害しちゃうんじゃ  ないですかね?後ろ向きすぎますかね。。どうもすみません。。。
 と、背景も拵えもボロボロ…もとい俊寛さんに似ているのですが、さすがに同じようでも、  座っているだけで武士に見えます。俊寛さんとは違いました。    それと、金丸座は雰囲気のよい芝居小屋ではありますが、あの芝居なら浜辺の距離感や  絶叫のバランスとしてもっと間口の広い劇場で観たいです。  もう少し広いスペースの上でぽっかりと孤独な景清さんの苦悩ぶりを観たいと思いました。  んで、金丸座はとても素敵なんですが、いかんせん、おちゃんして芝居観るのはちょーキツイ。  平場の枡席@5人定員でしたが、せめて、4人定員にしてくれんかなあ。  足の痺れだけでなく、体を曲げてるのがつらい〜。集中できません。  景清さんが荒ぶり苦悩してるところでは体のつらさも感じませんでしたが、しんどかったです。  温泉のある宿にして正解でした。  右京さんに逢いたかったけど、とても連続でおちゃん観劇は無理。根性なしですみません。。
 それと、あらすじは書きましたが、芝居を見ててすぐに全部わかったわけでなく  観てる最中は なんで突然怒りだすんだろ?とか疑問符も多かったのですが  あとで筋書き読んで納得。    それとですねぇ、苦悩しだしてすぐは イブの息子たちに出てくるシェイクスピアさんを  思い浮かべてしまいましたわ。(知る人ぞ知る漫画です。はい。)  進んでいくうちに惹きこまれてそんなことはなくなりましたが。    ロンゲを振り乱して嘆きまくる景清さんはすごくて、きんぐおぶ苦悩吉さまをこよなく  愛する私は、これまたイブの息子たちに出てくるニジンスキーのように  「嗚呼、苦悩する吉さまは素敵。苦・苦・苦…快感」状態でした。  遠征前に偶然にも読み返ししてたのでつい。。しかも、金丸座はパラレルワールドっぽく  なくもないし。(笑)
 苦悩しまくるなら娘のためでなく、一人の孤独の中で苦悩しまくって欲しいなあ  などと、(一人っきりでも自分だけの苦悩はないでしょうから。何かのため、  誰かのために人間は苦しむのだろうから)  無いものねだりな感想をもちました。    いつかは、ひとり芝居をと願う私であります。  最初から最後まで苦悩しまくる吉さまただ一人を観てみたいです。  あと、蜘蛛巣城の武時さんも彷佛とさせました。  なんにせよ、苦しむ吉さま(役柄としてですよ。え、ほんとか?って?ほんとですよ。(汗))  を観られたし、旅行として楽しかったので満足。かな?  なんて、やっぱり疑問符を残したりして。  
   2005年4月19日 記  寝ても醒めても 表紙へ